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共同体の神話

東京・上野にある東京都美術館では毎年3つの展示室で展覧会の企画を公募し、入選した企画は約1ヶ月間無償で展示する機会が提供されます。2021年の都美セレクション グループ展のひとつとして、「暗くなるまで待っていて(Until It Gets Dark)」(2021年6月10日ー30日)と題した映像展が開催されました。5人の作家の映像作品は途切れることのない連続した上映ではなく、互いに交錯し、余白が残ることで、鑑賞者に媚びないリズムを提示していました。1967年にオードリー・ヘプバーン主演のスリラー映画「Wait Until Dark」の身近にある緊迫感とは対照的に、本展は日常と抽象の間を行き来し、穏やかで抑制された雰囲気が漂っていました。展示終了後、発起人である彫刻を初発としたアーティスト飯嶋桃代さんにインタビューしました。

「暗くなるまで待っていて」展示風景 (東京都美術館ギャラリーB,東京,2021年) 撮影:間庭裕基

1.今回東京都美術館での展覧会プロジェクト『暗くなるまで待っていて』のきっかけについて教えてください。


この展示は「待つ」という時間に注目しインターバルを用いた映像展となりました。昨今の社会情勢の中で、多くの時間を「待つ」という姿勢についやされました。それは、私たちの生活スタイルにも気持ちの面でも多くの影も落としたことは確かではあります。しかし、一方でこのことを否定的に捉えるのでなく、例えば映画や演劇の幕間の時間に照らし合わせ、来たるショーの再開に期待を寄せるようなポジティブな時間として捉えたいと考えました。不安や苛立ちが立ち現れるのは、まだ見ぬ世界への不確実性からくるものとも言えます。この雲をつかむような不確実性も見方を変えることでできるだけポジティブなものと捉えることも可能なのではないかと私たちは考えました。

展示空間としては互いの映像作品が呼応し合い化学反応が巻き起こるような展示となりました。一作品、または二、三作品が同時に上映されるということもありますし、時には全作品が上映されることもありました。一日を通してもどの時間に見るかによって映像体験は常に異なることになります。その映像体験の一回性も展示の重要な要素だと言えます。


そしてこの展示にはもう一つ要素があります。それは全て8ミリフィルムによって撮影された映像であるということであり、作家によってはフィルムで見せるものがいたり、デジタル編集するものもいたりで、見え方は様々です。

私が8ミリフィルムを用いた映像展示を手がけようと思ったきっかけは母の余命にありました。これは非常に個人的なことですが、母は展覧会の企画募集がある頃(展示の1年前)に余命1年という宣告を受けて、展示が始まる4日前に他界しました。8ミリフィルム映像という特質と家族が余命宣告を受けるという自分の置かれた状況が妙にマッチしたということ始まりました。8ミリフィルムは撮影用フィルムの生産はわずかにされていますが、再生機器である映写機や撮影用のカメラの生産はとうの昔(40年ほど前!)に廃止され作家は皆、カメラの中古品を買って撮影しているという現状があります。そういった意味でも、8ミリフィルム映像は、わずかに余命をとどめつつ、いずれ死を見越しているメディアであるといえます。身体の運動は終わっているのにもかかわらず、呼吸器の挿管はされている状況にも思えました。このような余命を生きるとは何であるか。その問いから始まった展示でした。


このようにいうとネガティブに感じるかもしれませんが、8ミリが持っている余命性は若手作家にとっては一つの要素にすぎないところもあります。皆、自由に各々の8ミリの特性を自分の作品に落とし込んだものとなりました。それは、余命を生き生きと過ごし、さらに新しい視野をもたらすことも可能としているように思えます。


そして、8ミリフィルムは1秒間を18コマで撮りますが、1/18コマまで細分化した瞬間とも言えるシーンを写真のように切り出すフィルムは、生の瞬間や記憶の忘却に流される瞬間をも逃すまいと記録していくように思えるのです。

2.この展覧会の発起人として、ご自身の役割をどのように考えられますか?


この展示は私が発起人ではありますが、参加作家は皆映像を取り扱う作家ですので多くの示唆を受けながら展示を成立させました。私は立体を中心とした制作をしている作家で、映像はほとんど撮ったことがありません。しかし、映像が成り立ちうる環境、つまり光に関して非常に興味がありました。彫刻は触覚性をその特性として持っている媒体ですが、光がなく暗闇では彫刻がどこにあるかもわからないのです。また、彫刻家が常に苦闘している立体の面の展開(マッスやボリューム!)なども光がなければ認識できないのです。(作品を抱きかかえれば話は別ですが)そういった意味で光に関して映像作家とは少し別の認識を持っていました。作家の選定にはストーリー性を重要とする映画作家から映像を成り立たせる光自体をコントロールする美術作家まで幅を広げることができたと思います。


また、私自身がインスタレーションを中心に活動しているので各々の作品の展示の配置には気を配りました。8ミリ映写機の光量はプロジェクターに比べて非常に低いので空間の中で映像を並置するとかなり見えづらくなります。そのあたりの光量の差を配慮しつつ展示空間にどう配置していくのかは皆の意見を聞きながら進めていきました。


この展示では、常に自分が映像の世界から見て「よそ者」であるということを良い意味で自覚していました。そして、その「よそ者」目線を大事にしようと考えていました。


3.今回展示された作品『返歌─海を渡る光』は、三年前に発表されたインスタレーション「鏡とボタン―ふたつの世界を繋ぐもの」をベースにし、映像や音声などの要素を加え、新たな形で発表されたと思いますが、これはどのような発想から生まれたのでしょうか?


3年前の展示はギャラリー空間の正面の壁一面にミラーフィルムという鏡面状のシートをはめ込み、そこに衣服のボタンを琴座の星の配置になぞって留めたものでした。そしてJean Cocteauの映画「Orphée」(1950)の中で異界からラジオを通して主人公に発信されるポエム部分をサンプリングした音声を空間で再生するというインスタレーションでした。ギャラリーの正面壁にミラーが貼られることにより、ギャラリー空間の虚像がそこに映しこまれるといった構造が創出されました。この実体/虚像の構造をこの世とあの世に見立て、ギリシャ神話のオルフェウスをソースに空間構成しました。オルフェウス神話は死んだ妻を黄泉の国に迎えに行くという筋書きです。鏡をこの世とあの世の境界に見立て鏡を通して異界へと越境するのはJean Cocteauから多くの示唆を受けました。この作品をベースに異界との交信ということに興味を持ちました。

「鏡とボタンーふたつの世界をつなぐもの」 (ギャルリー東京ユマニテbis, 東京, 2018年)   ミラーフィルム、ボタン、シャツ、ハンガー、蛍光灯 撮影:加藤健

ギリシャ神話のオルフェウスは古事記にあるイザナギイザナミ神話と共通するところが多々あります。そういった意味でも、古事記自体に興味はあり、今回の展示では古事記に登場する豊玉姫神話をモチーフとしました。豊玉姫神話には、あるタブーを破ったことにより男女(豊玉姫と山幸彦)が異界に引き裂かれ離れ離れに暮らすこととなり、その際お互いの通信手段として和歌を用い、互いの想いを伝え合うという逸話があります。その通信手段である和歌(五七五七七)をモールス信号化し、さらにそれを光の点滅と変換する展示となりました。光の点滅に置き換えるのは先ほど述べました、光というものへの問いかけが自身の中にあったからです。前作の異界との境界を超えるというテーマを通して、異界との交信をいかに可能とするのかというのが、今回の作品のテーマとなりました。母の余命と向き合いながら、その先に迎える死者(圧倒的他者)とどう向き合っていくべきなのかというのが制作の根底にありました。


4.『返歌─海を渡る光』は、メディア実験のようなものと有機的な形態への関心を組み合わせていました。近年現代アートの分野では、このような実践について多く語られていますが、エコロジーに関して語る思想家でご興味を持っている人はいますか?


思想家というか作家としてですが、有機的な素材を用いる作家としてWolfgang Laibが挙げられます。彼は思想家といっても過言でもありません。彼は東洋の文化やインド仏教に造詣が深く、かつ、医学を学んだ作家でもあります。彼は花粉や牛乳などを使いますがそれらは癒しの深い部分に造形を通して届いてくるものだと思います


私もリハビリテーションなど身体回復のジャンルに深い興味があります。身体の回復には運動や投薬など科学的な側面と思想的な側面も重要だと思います。自分の身体と向き合うということは少なからず、自身の心とも向き合わなければならないからです。Wolfgang Laibの作品の素材には自然物に直接的な薬効はありませんが、鑑賞者は少なからず作品を前にすることで精神的身体的な癒しを得るように思われます。


5. 飯嶋さんにとっては、「自然」といえば何を思い浮かべますか?


自然に関して思うのは太刀打ちできない「破壊者」であるということです。全てを無にするような圧倒的的な力を持っているものと感じています。それと同時に身体を癒す優しさもあると考えています。古事記には多くの動植物が登場しますが、薬の記述も多くあります。私が制作でよく使う蒲黄は、蒲の花粉からできているもので、現在も漢方として傷薬に使われています。また、蛤の汁を火傷跡に塗り回復をはかるという記述もあります。自然は圧倒的力を持ち一瞬にして生を奪いながら、同時に身体を癒す薬効ももたらすものだと考えています。

「Recovery room―ましましいねつるかも」 (ギャルリー東京ユマニテ, 東京, 2021年) 蒲黄、振り子、蛾、アクリル、ミキサー、スピーカー、楽譜、タイル、ハゼ蝋、ゴムチューブ、図鑑 撮影:加藤健

6.飯嶋さん初期の作品は主に彫刻やインスタレーションでしたが、現在は徐々にビデオの領域を開拓し、マルチメディア・インスタレーションに移行しています。この変化はどのようにして始まったのでしょうか?


私は彫刻を初発とした作家です。しかし、彫刻のもつ求心性に自分の性格が合わなかったということが、インスタレーションという散文的な展開に開いていった理由でもあります。そして、立体を中心としたインスタレーションを通して空間認識をする中でさらに、そこからはみ出る感覚に目を向けていった時、音楽や映像を展示に取り込む方向へと移行しています。しかし、あくまで私の音楽や映像は非常に彫刻的であったり立体認識の中で展開されるジャンルだとも思っています。てんかん症状患者の脳波を音楽にすることも、異界との交信を図ることも私にとっては構造的に理解しようと試みつつ、しかし立体認識の構造を逸脱するものとして、つまりオブジェクトの外にあるものとしての手段と思っています。


7.飯嶋さんは、トニー・クラッグの作品が自分の彫刻家としてのキャリアに大きな影響を与えたと言っています。近年、表現の幅を広げていく中で、インスピレーションを受けている他のアーティストはいますか?その理由はなんでしょうか?


先述したWolfgang Laibもその一人ですが、幼い頃に広葉樹の葉を2枚と針葉樹の葉を数本、庭から摘み取り二枚の広葉樹を重ね合わせ側面の内側のギリギリに等間隔で針葉樹の葉を突き刺しました。そして広葉樹の葉を上下に開いて立体化し「虫かご」を作り、そこに小さな蝶を入れました。その時、世界のなにかを発見した気持ちになりました。そういう意味では、まずは自然が最初に目にしたアーティストと言えます。あとは中学生の時にRobert Rauschenbergの作品を画集で見て、こういう作家になりたいと思ったことが印象的です。あとは自分の作品に近しい作家のことは先行研究としてリサーチはしています。


8. 日本でメディア・インスタレーションを制作しているアーティストたちとはどのような関係を持たれているのでしょうか? 彼ら(『暗くなるまで待っていて』の出展作家以外に)の作品をフォローしたり、何らかの形で交流したりされていますか?


映像の界隈と関係を持っているのが最近なのであまりいません。しかし、映像というより映画の業界の人と話すことが最近多くなりました。私自身、映像がどのように創出されるのかに興味があるので技師の方との交流の方があります。


9.飯嶋さんはこれまで、家族や日常生活、病気、神話などをテーマにされてきましたが、メディアアートへの探索に伴い、ご関心のあるテーマは変わりましたか。


作家としてのスタートは、家族というテーマを通して、社会との連続性と非連続性という問題に取り組みました。それから家族の病気をもとに病と社会との連関性を探ってきました。そして、家族や社会はいずれも共同体的存在ですが、これらをつなぐ物語というものに興味があり、神話が持つある一定の共同体が保有する話からその普遍性を探る試みを行ってきました。私の中ではゆっくりながら自分の置かれた状況から社会や世界が考えるという活動です。自分の問題意識を解きほぐし、私も考えている皆の問題という意識で制作してきました。それは彫刻でもインスタレーションでもメディアアートでも関係なく、まずは自分を通しての社会への向き合い方だと考えています。ですので、その時にテーマとする問題意識によりより彫刻的なものになるのか、インスタレーションなのかメディアアートなのかは選択されるものかと思っています。

「〈疾患〉と〈治癒〉ーイナバノシロウサギ説話」   (ギャルリー東京ユマニテ, 東京, 2019年)  3.5min モニター、石、縮緬本、ラビットファーコート、医療用パーテーション、ベニーバスタブ、エビアン、金属、地球儀、ベビーベット、発泡ウレタン、パラフィンワックス、毛皮、等 撮影:加藤健

10.飯嶋さんの視点では、作品を発表するようになってから現在に至り、日本における女性アーティストのポジションは変わったりしましたか?


これは大きく変わろうとしている動きは感じられます。


私は中学生から女性だけの美術環境にいたので男性に対して特別不平等感を感じたことはありません。ただ、感じていたのは女性のライフスタイルと美術業界での経歴の積み重ねの齟齬については思うところはあります。アートの世界もめまぐるしく状況は変わって行きます。その状況と自分の今を照らし合わせるのは少し厄介なところはあります。


私は周囲に結婚や出産を期にアートを一時休止している友人がたくさんいます。しかし、アートはやめたり終わったりするものではないとおもっています。子育てや生活の中に根強くその発想は根付いています。生活を送っていく中で常にアートと向き合う瞬間は訪れるのです。そして、中にはまたアートを再開する人も多くいます。私は、そのような女性のライフスタイルに向き合う彼女たちをアーティストだと捉えています。


11.2021年も半分が過ぎましたが、上半期に開催された展覧会の中で、飯嶋さんが最も気に入った展覧会は何ですか?下半期で最も期待している展覧会は何ですか?


上半期は美術をみる機会があまりありませんでした。下半期で観に行こうと思っているのはポーラ美術館のRoni Hornです。ガラスは大型になればなるほど除冷の時間がかかり、それを少しでも急ぐと瞬間的にヒビが入ってしまう繊細な物質です。多くの時間と除冷するための独り占めできる場所(窯)が必要な素材です。作品が美しいのは自明のことですが、釜の中でゆっくりと時間をかけて冷却されていく時間に思いを馳せたりします。


12.次のプロジェクトについて少し教えていただけませんか。


病の回復とリハビリテーション、神話との繋がり、異界との交流は、それぞれ継続的に形を変えながらアメーバのように繋がりながら発展していくテーマだと思っています。そのテーマの一つリハビリでいえば「歩行訓練」に興味があります。足を前に出して歩くという原初的な行為が身体の欠損によって失われてしまうのは本当に悲しいことですが、踏み出すという行為が持っている身体のバランス感覚は二足歩行する私たちにとって身体というものを考える深いきっかとなると考えています。


Interviewed by S_Z


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